ブルゴーニュ〜Bourgogne〜

ヴォーヌ・ロマネのワインの特徴

ロマネサンヴィヴァン

ヴォーヌ・ロマネ〜Vosne Romaee〜

ヴォーヌ・ロマネはコート・ドールの数ある村の中でも最も人気、知名度のある村です。「コート・ドールの王冠」、などと呼ばれるくらいで(他にも色々とある)、村自体がワインラヴァーから敬わられているような存在です。北部はヴージョとシャンボール・ミュジニー、南部はニュイ・サン・ジョルジュと隣接しています。

ヴォーヌ・ロマネで認められているのは村名、プルミエクリュ、グランクリュを問わず全て赤ワインです。

ヴォーヌ・ロマネの歴史はサン・ヴィヴァン修道院と深い関わりがあります。サン・ヴィヴァン修道院の創設は890年です。サン・ヴィヴァン修道院があるのはヴォーヌ ・ロマネではなく、アペラシオン的にはオート・コート・ド・ニュイになるヴェルジィです。

フランス革命を機に廃墟になってしまったサン・ヴィヴァン修道院ですが、現在はDRCが中心になって復興作業が進められてますね。DRCはサン・ヴィヴァン修道院の周辺の畑からオート・コート・ド・ニュイのワインをリリースし、修道院の修復のための寄付金に当てています。

サン・ヴィヴァン修道院はクリュニー派の修道院です。ブルゴーニュにとってクリュニーとシトーという2つのベネディクト会の派閥は根幹とも言える大事な要素です。

ヴォーヌ・ロマネは、コート・ド・ニュイの他の村と比べても、村名クラスからレベルが高く、かつ、らしさを備えているのが特徴だと思います。ジュヴレ・シャンベルタンや、モレ・サン・ドニ、シャンボール・ミュジニーは村名とプルミエクリュ、グランクリュの印象が結構違いますが、ヴォーヌ・ロマネは一貫しています。

リッチでスケールが大きく、陶酔的な香りを秘めているのがヴォーヌ・ロマネです。スパイシーさがある香りです。煌びやかな雰囲気、きめ細かくて滑らかで高級感があります。

ヴォーヌ・ロマネのグランクリュ

ヴォーヌ・ロマネは村自体の評価が高いですが、中でもやはり、8つあるグランクリュが特に別格のワインとして讃えられています。

世界中のワインの中で最も有名と言っていい、ロマネ・コンティを始め、ラ・ターシュ、リシュブール、ロマネ・サンヴィヴァン、ラ・グランド・リュ、ラ・ロマネという6つのグランクリュがヴォーヌ・ロマネ村にはあり、隣村のフラジェ・エシェゾー村には、エシェゾーとグラン・エシェゾーの2つのグランクリュがあります。

フラジェ・エシェゾーの2つのグランクリュを加えた8つがヴォーヌ・ロマネのグランクリュです。

フランス革命の後、細分化されていったブルゴーニュの畑ですが、ヴォーヌ・ロマネのグラン・クリュは6つのうち4つがモノポール(単独所有畑)です。

ヴォーヌ ・ロマネ村のグランクリュであるロマネ・サン・ヴィヴァンやロマネ・コンティ、ラ・ターシュ、リシュブールなどは、サン・ヴィヴァン修道院の所有畑なのでクリュニー派です。それに対してフラジェ・エシェゾー村のグランクリュであるエシェゾーやグラン・エシェゾーは、シトー派が開墾した畑です。

簡単に言うと、クリュニーは明るくて豪華、シトーは禁欲的で質素です。多くのワインからはそれぞれの宗派が造っていない現在でも、そう言った雰囲気がワインから感じることが出来ます。

ロマネ・コンティ〜Romanee-Conti〜

ロマネコンティ98ヴォーヌロマネ

ロマネ・コンティはドメーヌ・ド・ラ・ロマネ・コンティ(DRC)のモノポールで、元々はロマネ・サン・ヴィヴァンの一区画、ル・クルー・デ・サンク・ジュルノー〜Le Cloux des cinq journaux〜でした。

ル・クルー・デ・サンク・ジュルノーは、1584年に売却され、1651年には、ラ・ロマネと呼ばれるようになりました。その後、王侯貴族が畑の所有巡って競い合い、1760年にコンティ公が購入し、現在の名称、ロマネ・コンティとなります。

ロマネ・コンティは数量も少なく、世界で最も高価なワインでもあります。質が高いワインだったのはもちろん、コンティ公が、全て自家用にして、市場に流通させなかったのも、価値を高めた要因です。コンティ公の宮殿でしか飲めなかったワインです。

ロマネ・コンティは、様々な逸話も多いですね。ルイ14世が病気の治療のため、毎日スプーン数杯のロマネ・コンティを飲んでいたとか、ポンパドール夫人とコンティ公爵のロマネ・コンティ争奪合戦、などは有名な話の1つです。

非常に小さな畑であるロマネ・コンティは斜度は緩やかで畑の上下の標高差がそこまでありません。土壌はプレモー石灰岩やイタボガキの化石を含む貝殻堆積泥灰岩、ウミユリ石灰岩、魚卵状石灰岩、コンブランシアン石灰岩などがあり、母岩は頁岩状石灰岩と言われています。

土壌自体は他の畑とそこまでの差は感じられませんが、斜度や標高、畑の向きなどと合わさって最高の区画となっています。

畑をビオディナミで栽培している影響も味わいに大きな影響を与えているはずです。

加えて、ロマネ・コンティを特別な存在にしているのは、ぶどうの木の更新(植え替え)のこだわりがあると思います。通常のフランスのぶどうの木は、フィロキセラの被害により、アメリカ産の台木などを使い、接ぎ木されているのですが、ロマネ・コンティは1945年まで接ぎ木せずに、伝統の取り木のみでぶどうの改植を行っていました。

1945年に全ての株が引き抜かれましたが、その前にロマネ・コンティの接ぎ穂でラ・ターシュを改植し、再び、ラ・ターシュの接ぎ穂でロマネ・コンティの畑を改植しています(マサルセレクション)

そのためコンティ公爵時代の直系のぶどうのみで、ワインは造られることになり、ピノノワールという品種は同じとはいえ(他の品種もほんの少量入っているそうですが)、ロマネコンティやラ・ターシュは、ここにしかない特異な個性を持つことに繋がっています。

改植のため1945年を最期にしばらくロマネ・コンティのリリースはありません。改植後に初めてリリースされたロマネ・コンティは1952年です。

ロマネ・コンティは、香り高さに圧倒されますが、味わい自体は軽やかだと思います。しなやかで細やかな質感。姿形の整い方はさすがだと思います。

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ラ・ターシュ〜La Tache〜

ラ・ターシュもロマネ・コンティと同じくドメーヌ・ド・ラ・ロマネ・コンティのモノポールです。

もともとは非常に小さな畑でした。19c後半から20c始めにかけ、隣接する畑のレ・ゴーディショからもロマネ・ラターシュと言った名前を付けたワインがリリースされていました。

19c半ばに、ゴーディショの大部分をドメーヌ・ド・ラ・ロマネ・コンティが購入し、1933年にDRCはラ・ターシュも買い取り、フランス政府にラ・ターシュをレ・ゴーディショを併せた大きな畑として認めさせました(DRCの持っていたレ・ゴーディショのみラ・ターシュに編入されたので、レ・ゴーディショは飛び地になっています)

区画はオリジナルのラ・ターシュ〜La Tache〜とレ・ゴーディショ・ウ・ラ・ラターシュ〜Les Gaudichots ou la Tache〜の2つに分かれています。

ラターシュは土壌はロマネ・コンティと大きな差はありません。水はけが良く、谷間からの風の影響があまりない暖かな畑です。非常に整った、まったく乱れた部分のないワインです。

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リシュブール〜Richebourg〜

ブルゴーニュヴォーヌロマネリシュブールドルーアン1976

ロマネ・コンティとラ・ターシュはDRCのモノポールですので、それ以外のいくつかの造り手が所有している畑の中では、最も高い評価を得ているのがリシュブールです。とはいえ、リシュブールの最大所有者はDRCです。

リシュブールももともとはもっと小さな畑でしたが、1936年の特級格付けの時に、長年リシュブールの名前で販売されていた隣の畑、レ・ヴェロワイユを取り込んで大きな区画となっています。そのため、レ・リシュブール〜Les Richebourgs〜と、レ・ヴェロワイユまたはリシュブール〜Les Verroilles ou Richebourgs〜の二つの区画に分かれています。

レ・リシュブールは東向き斜面で、レ・ヴァロワイユは北東向きと少し畑の向きが異なっています。そのわずかな違いでレ・ヴァロワイユはより冷涼で味わいに差が生まれます。

レ・リシュブールの区画はロマネ・コンティに隣接し、よりクオリティが高いと言われています。

他の畑と比べて粘土が多めの土壌です。

ロマネ・サン・ヴィヴァン〜Romanee St.Vivant〜

ロマネサンヴィヴァン12ヴォーヌロマネルイラトゥール

12c頃からサン・ヴィヴァン修道院に少しづつ寄進された畑です。もともとロマネ・コンティもロマネ・サン・ヴィヴァンの一部でしたし、評価的にはラ・ターシュやリシュブールに劣るものの、歴史的にみてシャンベルタン・クロ・ド・ベーズと並んで、ブルゴーニュの根幹をなすワインだと思います。

ロマネ・サン・ヴィヴァンはロマネ・コンティやリシュブールの下にあり、平坦な畑です。バジョシアンの泥灰岩とウミユリ石灰岩の土壌が中心で、表土が3mほどもあるのが特徴です。

サン・ヴィヴァン修道院が所有していた畑で(ヴォーヌ・ロマネ一帯がサン・ヴィヴァン修道院の所有だった)、12cに何度かに渡って寄進された畑です。もともとはロマネと呼ばれていました。文献にロマネ・サン・ヴィヴァンの名前が初めて出てきたのは1765年です。

16c初頭のロマネ(ロマネ・サン・ヴィヴァン)は、

  • ル・クルー・デ・ヌフ・ジュルノー〜Le Cloux des Neuf Journaux〜
  • ル・クルー・デュ・モワタン〜Le Cloux du Moytant〜
  • ル・クルー・デ・キャトル・ジュルノー〜Le Cloux des Quatre Journaux〜
  • ル・クルー・デ・サンク・ジュルノー〜Le Cloux des Cinq Journaux〜

の4つの区画の分かれていました。そのうちル・クルー・デ・サンク・ジュルノーは、割譲されロマネ・コンティのなったのは先に書いた通りです。

後に、ヴィーニュ・ア・エティエンヌ・ボグネ〜Vigne a Estienne Bognet)〜と、ヴィーニュ・ア・ジョアン・ロワ・ド・ルーヴル〜Vigne a Jehan Roy de Rouvres〜の2つの区画を加えて現在のロマネ・サンヴィヴァンとなっています。

フランス革命でロマネ・サン・ヴィヴァンの畑は没収され売りに出され、1791年にマレイ・モンジュ家が購入し、100年以上マレイ・モンジュ家の所有畑でした。後から加わったと書いたヴィーニュ・ア・エティエンヌ・ボグネの区画はマレイ・モンジュ家が少しづつ購入してル・クルー・デュ・モワタンに加えた畑です。

マレイ・モンジュ家は相続問題により、少しづつ売却することになります。現在は10名の造り手がロマネ・サン・ヴィヴァンの畑を所有しています(ぶどうを購入してリリースする造り手もいる)

現在の最大所有者はDRCです。

ルイ・ラトゥールはほぼ区画名のような名前のロマネ・サン・ヴィヴァンをリリースしています。ロマネ・サン・ヴィヴァン・レ・キャトル・ジュルノーです。もともとルイ・ラトゥールは、ル・クルー・デ・キャトル・ジュルノーを購入して所有していましたが、相続による分割で現在はほぼ半分の北側の部分を所有しています(ロマネ・コンティ下部に隣接する区画)

他の造り手も区画名などは書いていなくても、所有している区画は明確に分かっているので、区画を確認しながら味わいたいところです。

ラ・グランド・リュ〜La Grande Rue〜

ラ・グランド・リュはロマネ・コンティとラ・ターシュに挟まれた細長い畑です。グランド・リュは「偉大な道」という意味です。

ドメーヌ・フランソワ・ラマルシュ(ニコル・ラマルシュ)のモノポールです。1991年まではプルミエクリュでしたが、1992年からグランクリュとしてリリースされています。

ラ・グランド・リュは、他のグランクリュと比べるとワイルドでタンニンも強いです。

ラ・ロマネ〜La Romanee〜

ラ・ロマネはロマネ・コンティの上部に隣接したグランクリュで。標高は300m近くあります。

ラ・ロマネとロマネ・コンティはもともとは同じ畑だったとも言われていて、古いロマネ・サン・ヴィヴァンの地図には、ラ・ロマネの区画は含まれていませんから、ル・クルー・デ・サンク・ジュルノーがラ・ロマネと呼ばれるようになった頃に、現在のラ・ロマネの区画もまとめられて、その後また分割されたのかもしれません?

ラ・ロマネはドメーヌ・コント・リジェ・ベレールのモノポールです。6つの区画に分かれていたラ・ロマネを少しづつ購入して、現在の姿になっています。かつては栽培も醸造も委託していましたが、2005年からはドメーヌものとしてリリースしています。

エシェゾー〜Echezeaux〜

ブルゴーニュヴォーヌロマネエシェゾー01

アペラシオンとしてはヴォーヌ・ロマネですが、村としてはフラジェ・エシェゾーにあるグランクリュであるエシェゾー。

エシェゾーはシトー派の修道士が13cに開墾した畑で、元々はエシェゾー・デュ・ドゥシュと言う小さな区画でした。A.O.C.認定時に周辺の区画を統合し、現在は11区画を合わせた大きな畑となっています(元々はグラン・エシェゾーの上部に隣接する小さな区画でしたが、現在はグラン・エシェゾーを超えてクロ・ド・ヴージョの上部(西側)や南部の方にまで大きくなっています。グラン・エシェゾーより小さな区画でしたが、今はかなり大きくなっています)

エシェゾーは全体としては、バジョシアンの石灰岩と粘土が多めの畑です。

エシェゾー区画(11)
  • エシェゾー・デュ・ドゥシュ〜Echezeaux du Dessus〜
  • レ・ルージュ・デュ・バ〜Les Rouges du Bas〜
  • レ・シャン・トラヴェルサン〜Les Champs Traversins〜
  • アン・オルヴォー〜En Orveaux〜
  • レ・プレレール〜Les Poulailleres〜
  • レ・ボー・モン・バ〜Les Beaux Monts Bas〜
  • レ・ロアショース〜Les Loachausses〜
  • レ・トゥルー〜Les Treux〜
  • レ・カルティエ・ド・ニュイ〜Les Quartiers de Nuits〜
  • レ・クリュオ/ヴィーニュ・ブランシュ〜Les Cruots ou Vignes Blanches〜
  • クロ・サン・ドニ〜Clos St-Denis〜

エシェゾー・デュ・ドゥシュを所有している造り手はドメーヌ・デ・ペルドリ、モンジャール・ミュニュレ、ミッシェル・ノエラなどです。

最も良い区画はエシェゾー・デュ・ドゥシュだとは言え、他の区画も一長一短で魅力があり、様々な区画をブレンドすることで各生産者は上質なワインを造っています。

比較的多くの区画を所有しているのはグロ・フレール・エ・スール、ジャック・カシュー、コカール・ロワゾン・フルーロで、4区画を所有しています。

グロ・フレール・エ・スールの4区画の1つは小さな面積ですがエシェゾー・デュ・ドゥシュです。

レ・ボー・モン・バと、レ・ルージュ・デュ・バ、そしてアン・オルヴォーの上部は同名のプルミエクリュです(レ・ルージュは、レ・ルージュ・デュ・デュシュがプルミエクリュ)

グラン・エシェゾー〜Grands Echézeaux〜

グラン・エシェゾーは、エシェゾーとクロ・ド・ヴージョに囲まれた畑です。グラン・エシェゾーはフランス革命前は、レ・エシェゾー・デュ・バと呼ばれていました。そのことからもエシェゾーと1つの畑だったのだと思います。

もともとのエシェゾーの区画よりも大きかったのでグラン・エシェゾーと呼ばれるようになりましたが、現在はエシェゾーより小さな畑です。

緩やかな東向き斜面。バジョシアンの石灰岩と粘土質。鉄を含んだ赤っぽい土壌です。

ヴォーヌ・ロマネのプルミエクリュ

ヴォーヌ・ロマネはグランクリュが素晴らしいので見劣りはしてしまいますが、プルミエクリュのレベルも低いわけではありません。並のグランクリュに負けないクリュがいくつもあります。

ヴォーヌ •ロマネのプルミエクリュ(14)
  • アン・オルヴォー〜En Orveaux〜
  • レ・ルージュ〜Les Rouges〜
  • レ・ボー・モン〜Les Beaux Monts〜
  • オー・ブリュレ〜Aux Brulées〜
  • レ・スーショ〜Les Suchots〜
  • ラ・クロワ・ラモー〜La Croix Rameau〜
  • クロ・パラントゥー〜Cros Parantoux〜
  • レ・プティ・モン〜Les Petits Monts〜
  • オー・レイニョ(レニョ)〜Aux Raignots〜
  • レ・ゴーディショ〜Les Gaudichots〜オー・デュシュ・デ・マルコンソール〜Au-dessus des Malconsorts〜
  • オー・マルコンソール〜Aux Malconsorts〜
  • レ・ショーム〜Les Chaumes〜
  • クロ・デ・レア〜Clos des Réas〜

レ・ボー・モン〜Les Beaux Monts〜

ヴォーヌ・ロマネ村とフラジェ・エシェゾー村に跨るプルミエクリュのレ・ボー・モン。美しい丘、と言うような意味です。

レ・ボー・モン・オーと(ほぼヴォーヌ・ロマネ側)、レ・ボー・モン・バ(フラジェ・エシェゾー側)に分かれています。レ・ボー・モン・バの下部にはエシェゾーの小区画であるレ・ロアショースと、レ・クリュオまたはヴィーニュ・ブランシュ、レ・ボー・モン・オーの下部は同じくプルミエクリュのレ・スーショです。

レ・ボー・モン・バの方が質が高いと言われていますが、ブレンドした方がバランスが取れる印象はあります。石が多く水捌けの良い畑。

エマニエル・ルジュの区画はレ・ボー・モン・バです。

オー・ブリュレ〜Aux Brulees〜

ブルゴーニュヴォーヌロマネメオカミュゼブリュレ11

オー・ブリュレは真ん中に道路が走り、南北に分かれた畑です。南北で傾斜も違い、違った個性を持っています。小石の多い水捌けの良い土壌。リシュブールのヴェロワイユ区画と(レ・ヴァロワイユまたはリシュブール)、同じくプルミエクリュのレ・ボー・モンに挟まれている畑。

ブリュレは、焼けた、と言うような意味です。名前の通り日照量の多い畑で、濃厚で力強いワインが生まれます。

オー・ブリュレの最大所有者はドメーヌ・デュージェニーです。ドメーヌ・デュージェニーは2006年創業と非常に新しいドメーヌです。オーナーはボルドーのシャトー・ラトゥールなどを所有するフランソワ・ピノー氏。ドメーヌ・デュージェニーはオー・ブリュレの北部に畑を所有しています。

オー・ブリュレの南部に畑を所有している作り手としてメオ・カミュゼとミシェル・グロが知られていますが、メオ・カミュゼの所有畑はオー・ブリュレ、リシュブール、クロ・パラントゥーと一続きの区画となっています。

レ・スーショ(レ・スショ)〜Les Suchots〜

ブルゴーニュヴォーヌロマネラルロ1erスーショ04

レ・スーショ(レ・スショ)は、エシェゾーとロマネ・サン・ヴィヴァン、リシュブールに隣接したプルミエクリュです。エシェゾーは、レ・クリュオまたはヴィーニュ・ブランシュの区画とクロ・サン・ドニの区画に隣接しています。リシュヴールはヴェロワイユ、ロマネ・サン・ヴィヴァンはヴィーニュ・ア・エティエンヌ・ボグネと、ル・クルー・デ・ヌフ・ジュルノーの区画に隣接しています。

グランクリュに囲まれた素晴らしい立地だけあり、スーショのワインはヴォーヌロマネのプルミエクリュの中でも特に優れている印象です。芯があり整った形をしています。しっかりと石灰岩を感じる畑です。明るくてしなやか、窮屈さのないワインを産む畑です。

ラ・クロワ・ラモー〜La Crois Rameau〜

ラ・クロワ・ラモーは、ロマネ・サン・ヴィヴァンのル・クルー・デ・ヌフ・ジュルノー区画に食い込むようにある小さな畑。元々はル・クルー・デ・ヌフ・ジュルノーの一部で、ラ・プラントとも呼ばれていた畑です。そのため、ロマネ・サン・ヴィヴァンと言ってしまっても良いくらいで、土壌的には変わりません。

標高はほんの少しだけ低くなっていて、それがロマネ・サン・ヴィヴァンとの差だと言われています。ほぼグランクリュと言って良いプルミエクリュです。

クロ・パラントゥー〜Cros Parantoux〜

ブルゴーニュヴォーヌロマネメオカミュゼクロパラントゥー11

ヴォーヌ・ロマネのプルミエクリュの中でも特に人気、知名度、価格ともに高いのはクロ・パラントゥーです。リシュブール上部に位置する小さな畑で、ブルゴーニュで最も有名な造り手の一人であるアンリ・ジャイエが所有していたことで知られています。

アンリ・ジャイエは自ら、荒れ地だったクロ・パラントゥーを開墾し、ワインを造り始めました。わずか1haの畑から造られるクロ・パラントゥーは稀少性があり、品質の高さと相まって、幻のワインと呼ばれ珍重されるようになりました。

2006年にアンリ・ジャイエ氏は亡くなり(最後のヴィンテージは2001)、現在のクロ・パラントゥは3分の2に当たる南側の部分をエマニエル・ルジュが(アンリ・ジャイエの甥)、北側の3分の1をメオ・カミュゼが所有しています。カミュゼ家はもともとクロ・パラントゥを所有していましたし(以前はメオ・カミュゼ名義のクロ・パラントゥーもアンリ・ジャイエが手がけていた)、エマニュエル・ルジュも1989年からクロ・パラントゥーをリリースし始めています。

エマニエル・ルジュやメオ・カミュゼのクロ・パラントゥーも変わらずレベルが高いとは言え、やはりいまだにアンリ・ジャイエのクロ・パラントゥの価値には届いていない感じがします。

クロ・パラントゥは北東向き斜面で標高も高めで風の通り道でもあるので冷涼な畑です。もともとあまり良いとは思われていなかった畑です。フィロキセラ後はぶどう以外の農作物が栽培されていたほどです。

オー・レイニョ(レニョ)〜Aux Raignots〜

オー・レイニョは、グランクリュのラ・ロマネ上部に位置する畑です。表土が薄く水はけが良く繊細なワインが生まれます。まっすぐでミネラリー。近年、評価されやすいタイプのワインだと思います。実際非常に人気のある畑です。緊張感があり筋肉質。

レ・ゴーディショ〜Les Gaudichots〜

ラ・ターシュの周辺の三カ所に飛び地のように存在するプルミエクリュのレ・ゴーディショ。非常にユニークな畑ですが、ラ・ターシュの項で書いたような経緯があって、DRCの所有していたレ・ゴーディショがラ・ターシュに編入されたことから(レ・ゴーディショの大部分。味わい的に遜色ないことから)、1つの畑だったレ・ゴーディショは、DRC以外の造り手の区画だけとなり、飛び地の畑となっています。

三カ所あるレ・ゴーディショの場所は、ラ・ターシュの上部と、オー・マルコンソールとラ・ターシュの間の中腹あたり、そしてラ・ターシュとラ・グランド・リュ間の斜面下部です。

マシャール・ド・グラモンの所有区画は、ラ・ターシュとラ・グランドリュの間の区画です。

オー・マルコンソール〜Aux Malconsorts〜

フランソワラマルシュヴォーヌロマネ1erレマルコンソール11

ラ・ターシュやレ・ゴーディショの南側で、ニュイ・サン・ジョルジュに隣接するプルミエクリュのオー・マルコンソール。

ラ・ターシュのもともとの区画の一部と言えるような、入り込んだ部分の畑もオー・マルコンソールで、特に素晴らしい区画だと言われています。オー・マルコンソールの上部の別のプルミエクリュのオー・デュスュ・デ・マルコンソールも評価の高い畑です。

ド・モンティーユのオー・マルコンソール・クリスチアンヌはラ・ターシュに入り込んだ部分の区画のぶどうを使用しています。それとは別に通常のオー・マルコンソールもド・モンティーユはリリースしています。

クロ・デ・レア〜Clos des Reas〜

クロ・デ・レアは、ヴォーヌ・ロマネのプルミエクリュの中で最も低い位置にある畑です。同じくプルミエクリュのレ・ショームの下部に位置します。地図だけ見るとレ・ショームの方が良さそうですが、評価はクロ・デ・レアの方がかなり高い感じがします。

クロ・デ・レアは、ミッシェル・グロのモノポールです(1860年にドメーヌ・ジャン・グロが購入。生前分与でミッシェル・グロに受け継がれました)

三角形の形をした畑。小さな丘の上で、真ん中が盛り上がっていて水はけが良い畑です。泥灰土と石灰岩の土壌。

ヴォーヌ・ロマネの代表的な造り手

ヴォーヌ・ロマネには有名な造り手が非常に多いですね。少し考えただけでも他の村とは比べ物にならないくらい、たくさんの生産者の名前が浮かびます。その中でも代表な生産者と言えば誰なのか‥意見が分かれそうなところですね。

  • ドメーヌ・ド・ラ・ロマネ・コンティ~Domaine de La Romanee-Conti~
  • ドメーヌ・ルロワ~Domaine Leroy~
  • ドメーヌ・エマニエル・ルジェ~Domaine Emmanuel Rouge~
  • ドメーヌ・メオ・カミュゼ~Domaine Meo Camuzet~
  • ドメーヌ・ジャン・ジャック・コンフュロン~Domaine Jean Jacques Confuron~
  • ドメーヌ・ジャック・カシュー~Domaine J.Cacheux et Fils~
  • ドメーヌ・アラン・ユドロ・ノエラ~Domaine Alaine Hudelot Noellat~
  • ドメーヌ・ミッシェル・グロ~Domaine Michel Gros~
  • ドメーヌ・アンヌ・フランソワーズ・グロ~Domaine Anne-Francoise Gros~
  • ドメーヌ・ジェイエ・ジル~Domaine Jayer-Gilles~
  • ドメーヌ・モンジャール・ミュニュレ~Domaine Mongeard-Mugneret~
  • ドメーヌ・フランソワ・ラマルシュ~Domaine Francois Lamarche~
  • ドメーヌ・ジャン・グリヴォ~Domaine Jean Grivot~
  • ドメーヌ・デュ・コント・リジュ・ベレール~Domaine du Comte-Liger-Belair~
  • ドメーヌ・ティボー・リジュ・ベレール~Domaine Thibault Liger-Belair~
  • ドメーヌ・アルヌー・ラショー~Domaine Arnoux-Lachaux〜
  • ドメーヌ・フォレ・ペール・エ・フィス~Domaine Forey Pere et Fils~
  • ドメーヌ・デュージェニー~ Domaine d’Eugenie~

こちらはコート・ド・ニュイのアペラシオン⑧〜ニュイ・サン・ジョルジュ〜の詳しい紹介です。

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