サヴォワ地方の歴史〜サヴォイア公国とサルディーニャ王国〜
サヴォワ地方のぶどう栽培は紀元前1cには始まっていたと記されています。
サヴォワ地方を構成するサヴォワ県とオート・サヴォワ県はかつてのサヴォイア伯国の領土の大部分を占めています。
サヴォイア伯国は1000年頃、ブルグント王国の崩壊した時に誕生した国です。サヴォワとサヴォイアはフランス語かイタリア語かの違いです。サヴォワ伯国やサヴォワ公国とも言いますがイタリアにとって重要な国ですし、国名はサヴォイアと書かれることが多いです。
シャンベリーを中心とした地域がサヴォイア伯国の中心でしたが、現在のイタリア、ピエモンテ西部、山岳地域のピネローロを中心としたエリアにまで領土を持っていました。
1416年、 サヴォイア伯アメデーオ8世が、 皇帝ジギスムントから公爵の位を与えられてサヴォイア公国が成立します。
サヴォイア公国は、現在のイタリアのヴァッレ・ダオスタやピエモンテ、スイスのジュネーヴなどにまで領土を広げます。首都は最初はシャンベリーでしたが、1563年にトリノに移しています。
18c初頭のスペイン継承戦争の際に、サヴォイア公はシチリアの王位を得ます。1720年にオーストリア・ハプスブルク家との間で、シチリア島とサルディーニャ島を交換したことで、サヴォイア公はサルディーニャ王の称号を得ました。サルディーニャ王国の誕生です。
サルディーニャ王国という名称ですが、本拠地はピエモンテのトリノのままです。
18c末のフランス革命戦争では、オーストリア側について参戦しましたがフランスに敗れ、サヴォワやニースをフランスに割譲することとなりますが、その後再びサルディーニャ王国の領土となります。
19c、サルディーニャ王国が中心となってイタリア統一運動が加速していき、フランスの協力を得るため、1860年に再びサヴォワとニースはフランスに割譲されました。
1861年サルディーニャ王国はイタリア王国となり、イタリア統一が達成されます。イタリア王国は現在のイタリア共和国の前身となる国です。
もともとサヴォワから始まったサヴォイア公国は現在のイタリアの成立に大変重要な役割を果たしたことがわかります。