フランス(ヨーロッパ)の歴史

ローマ帝国〜ヨーロッパの歴史〜

古代ローマは、紀元前753年に現在のローマ周辺に誕生した都市国家で、王政を経て共和制ローマとなり、その後、帝政となりローマ帝国と呼ばれるようになります。

共和制ローマとなったのは王政を打倒した紀元前509年からです。ローマは、イタリア半島の他の都市国家を制圧し、紀元前272年にイタリア半島を統一します。

イタリア半島統一と書きましたが、この時点では北イタリアはガリアの一部で、ガリア・キサルピナと呼ばれるローマの属州でした(現在のリグーリア、ピエモンテ、ロンバリディア、トレンティーノ=アルト・アディジェ、ヴェネト、フリウリ=ヴェネツィア・ジューリア、エミリア・ロマーニャの各州がガリア・キサルピナの地域)

イタリア半島統一の過程の中で、ガリア人の様々な部族とも争いがあり(ローマ・ガリア戦争)、その争いの中で、ガリア南部のガリア・トランサルピナも属州としています。

その他のガリアの地域は後にカエサルが属州とし、ガリア・キサルピナは、ローマ帝国初代皇帝のアウグストゥスの時代にローマ帝国に統合され、ガリアから引き離されます。

イタリア半島を統一した共和制ローマは(北イタリアは属州ですが)、西地中海の覇権を巡り、紀元前264年以降100年以上に渡ってカルタゴと争うこととなります。

有名なカルタゴの将軍、ハンニバルに苦戦するも最終的にはカルタゴに勝利を収め、西地中海を手中に収めます。

さらにマケドニア(ギリシア)にも遠征し、紀元前148年には属州とするなど領土を拡大します。

ローマの軍人として最も知られているガイウス・ユリウス・カエサルは、紀元前58年にガリアの総督に就任し、ガリア戦争を起こし、先に述べたようにガリア全土をローマの属州とすることに成功します。

ローマでの名声を高めたカエサルですが、元老院(共和制ローマの政治を取り仕切っていた)は、カエサルの権力拡大を恐れてポンペイウスと組み、ガリアでの任期が終わったことに合わせてローマに戻らせ、軍を解散させようとします。

カエサルはローマへの反逆を決意し、ファルサルスの戦いでポンペイウスらを破ります。ポンペイウスはエジプトに逃げるもプトレマイオス朝のプトレマイオス13世に殺害されます。

紀元前44年、カエサルは終身独裁官に就任し、権力を集中させ、帝政へ繋がる基礎を作ります。ですが、その1ヶ月後にはブルトゥスらに暗殺されてしまいます。

カエサルの後継者であるアウグストゥスは、その後内乱を収め、共和制ローマ内で権力を持っていたアントニウスとプトレマイオス朝のクレオパトラとの争いに勝利し、紀元前27年、初代ローマ皇帝となります。ローマ帝国の始まりです。

アウグストゥスが皇帝に即位してからは、パクス・ロマーナ(ローマによる平和)と呼ばれる200年続く平和な時代を迎えます。

この200年の間にローマ帝国は繁栄を続け、帝国初期に生まれたキリスト教は迫害されながらも信徒を拡大していき、2c末にはローマ帝国全土にまで広がっており、313年には皇帝コンスタンティヌス1世がミラノ勅令を公布してキリスト教を公式に認めます(キリスト教だけではなく、信教の自由を保障したもの)

皇帝テオドシウスは380年にキリスト教を国教とすることを宣言します。392年にはキリスト教以外の宗教が禁止されて、キリスト教はさらに大きな影響力を持つようになります。

世襲制をとっていたローマ皇帝ですが、対立勢力が現れ、内乱も起こるようになります。3世紀の危機と呼ばれる混乱の時代を迎え、各地で皇帝を名乗るものが出現しだします。ローマ帝国から独立した形のガリア帝国もその一つです(ほとんどの帝国はすぐに滅亡するが、ガリア帝国は260年から274年とその中では長く続いた)

ローマ帝国は西と東で分担統治されるようになり、一時、統一された時期があるものの、西ローマ帝国と東ローマ帝国の二つに分かれることになります。

4c後半に始まるゲルマン人のローマ帝国領地内への侵入も深刻な自体になっていき、西ローマ帝国は、ゲルマン人のクロヴィス1世がガリアの地に興したフランク王国に滅ぼされます。

一方、東ローマ帝国は、コンスタンティノポリスを首都とし、15cまで続きます(オスマン帝国に滅ぼされる)

東ローマ帝国はビザンツ帝国とも呼ばれています。ビザンツ帝国はローマ帝国ではありますが、古代ギリシアの文化が強く、西ローマ帝国の滅亡をもってローマ帝国は終わりを迎えたという解釈が一般的です。

また、西ローマ帝国の滅亡した5cから歴史区分的には中世で、東ローマ帝国が滅亡する15cをもって中世は終わりだと解釈されています。