ラングドック地方の歴史
ラングドックの地域は紀元前121年にローマに征服されて、属州のガリア・ナルボネンシスと呼ばれるようになります(現在のプロヴァンスなども含む地域)
ぶどう栽培自体は属州になる以前から行われていたことがわかっています。
ローマ帝国は東西に分裂し、西ローマ帝国領となりますが、476年に西ローマ帝国は滅亡、西ゴート王国の領土となり、さらにその後フランク王国の支配下となっていきます。当時のラングドック・ルーションの地域はセプティマニアとも呼ばれていましたが、イスラム王朝のウマイヤ朝の侵攻を受け、一時はその支配下にありました。
759年にはフランク王国の統治下に戻りますが、イスラム文化の影響を受けつつ独自の文化圏として発展していきます。843年にフランク王国も分裂し、西フランク王国、中部フランク王国、東フランク王国が誕生します。西フランク王国は後にフランス王国と呼ばれるようになります。現在のフランス共和国の前身の国です。
南仏では10c半ば以降、カトリックの聖職者の堕落からカタリ派(南仏の都市アルビの名前を取ってアルビ派とも言う)を信仰する人が増えていました(南仏の他、北イタリアでも広まった)
ローマ教皇は最初は穏便にカトリックへの復帰を目指しましたが、成果は出ず、カタリ派を禁止し、13cにカタリ派を殲滅するためにアルビジョワ十字軍を呼びかけて武力での制圧を始めました。
ラングドックの都市、ベジエやカルカッソンヌなどは初期の段階で制圧され、特にベジエでは大規模な虐殺が行われました。
南西地方のトゥールーズ伯領は長い間抵抗しましたが、最終的に征服され、南仏はフランス王国に編入されました。