コルシカ島の歴史
コルシカ島の先住民については詳しくわかっていない部分も多いですが、現在でもドルメン(巨石墓)やメンヒル(彫刻のある石柱。立石群となっている)といった先史時代の遺跡が多く残されています(正確ではないですが紀元前4000年前くらいの遺跡もある)
ぶどう栽培の歴史も古く、紀元前600年頃、プロヴァンス同様、古代ギリシャ人によって伝わりました。その後カルタゴなどの支配の時期を経て、紀元前3c頃からローマ人が支配するようになります。
ローマ帝国が東西に分裂し徐々に力を失う中で、様々な他民族の侵入が始まります。ムーア人やサラセン人といったイスラムの海賊の被害が大きく、6c後半から11cにかけてはコルシカ島は暗黒時代と呼ばれる不遇の時代を迎えることになります。
先住民たちは山岳部の小集落(パエーゼ)でひっそりと暮らすようになり、その時代にコルシカ独自の文化が生まれたとされています。
コルシカ島は中世には、イタリアの都市国家の1つジェノヴァ共和国の領土となります(1284年〜1729年)
その時代、アジャクシオや、バスティア、ポルト・ヴェッキオ、カルヴィなどに砦や要塞が築かれ、アレリアの小要塞や、いくつかのジュネヴァ風の塔が建設されました。
キリスト教の教会も作られ、ぶどう栽培も広がっていきます。
18cのコルシカ独立戦争にフランスが介入し、最終的にフランス領となりました。ですので、歴史的にもみてもフランスに属するようになったのは、ごく最近のことだとわかります。
イタリアの都市国家が支配した時代が長く、イタリアの影響が現在も残っています。それに加えてコルシカ独自の文化もあり、その2つが融合しているのがコルシカ島です。