アルザス地方の歴史
アルザス地方には、紀元前1500年頃からケルト人が住んでいました。紀元前1c半ばからゲルマン系のスウェビ族がアルザス地方で勢力を伸ばし始めます。
ケルト人はローマ帝国に助けを求め、アルザス地方(を含むガリアは)ローマ帝国の支配下となります。
ローマ帝国のドルススは要塞都市アルゲントラトゥムを建設。これがストラスブールの起源です。
2c頃にローマ帝国からぶどう栽培が伝わります。
451年にゲルマン系アレマン人によってアルゲントラトゥムは占領されますが、496年にはアルレン人はフランク王国のクロヴィスによって征服されてしまいます。
アルザス地方はフランク王国によって支配されますが、アレマン人はそのままこの地方に残り、現在のアルザス文化のもとを作り上げていきました。アルザス語もアレマン人の言葉が元になっています。
その後、フランク王国は分裂し、西フランク王国、中部フランク王国、東フランク王国に分かれます。現在のフランス、イタリア、ドイツの原型です。
アルザスは中部フランク王国の一部となりますが、さらに分割され(中部フランクはイタリア王国となる)、アルザスの地域は、東西フランク王国間のはざまで戦火に焼かれることとなります(現在のフランス、ドイツの時代にまで何度も争奪が繰り返されます。ヨーロッパ交易の中間点で大事な地域でした)
東フランクを中心とした地域は神聖ローマ帝国となり(962年、東フランクのオットー1世がイタリア王国を攻め、途絶えていた皇帝位を名乗った。ローマ皇帝はイタリア王であるのが前提)、アルザス地方は神聖ローマ帝国の領地となります。
神聖ローマ帝国領となったアルザスは栄華を極めますが、大きな争いの度に蹂躙され、フランスとドイツの間で国籍が何度も変わりました(ドイツという名称は10c頃に、神聖ローマ帝国を構成する一つの国、ドイツ王国として使われるようになった。神聖ローマ帝国自体は1806年まで存続)
第二次世界大戦後に再びフランスの領土となりました。