中世後期に都市国家がいくつか誕生したイタリアから興ったルネサンスは、西洋の文化や芸術の大きな革新となりました。
食文化も洗練され、イタリアは諸外国と比べ、ずいぶんと文化的に進んだ状態となりました。食器としての陶器の利用だったり、テーブルナイフやフォークの使用、清潔感のある食事作法が生まれました。
コンポートやコンフィチュール(ジャム)、さまざまな砂糖菓子、氷菓子などもこの頃に生まれました。
1533年、カトリーヌドメディチがアンリ2世に嫁いでから、フランスにイタリア料理の技術、文化が流入し、そこからフランスは大きく変化していきます。
明確に変化があったのは食事の内容よりもむしろ食事作法などの部分です。
それまではお皿もなく、トランショワールと呼ばれる硬いパンに料理を乗せて手づかみで食べていましたが、一人づつのお皿が用意されるようになり、同時にスプーンやナイフ、ワイングラスなども各自用意されるようになりました。
古代ローマ時代にはスプーンもお皿も使っていたので、中世で使われなくなったのはキリスト教で、食器がよごれたものだとみなされた影響です。
フォークは凶器のイメージが強く(教会も反対した)、なかなか普及しませんでしたが、イタリアでは15〜16cにパスタなどを食べるために使われだし、フランスは革命後に急速に普及していきます。
食材に関しては、大航海時代を迎え、新大陸の発見により、新しい食べ物がヨーロッパに入ってきて、根付いていきます。
17cに入ると、フランスの美食に対する意識もさらに増していき、16cではほとんど料理書といったものが出版されなかったのに対し(14cとかの料理書の再販がほとんど)、17cから18cにかけて200冊以上の料理書が出版されました。
料理に対する嗜好も変化していき、それまで一体となっていた甘味と塩味を分けて、酸味を控えめにし、スパイスの量も減っていきました。
肉汁を詰めて、現代のフランス料理の基礎となるソースが誕生したのもこの時期です(ソースのようなものはあったが、ソースという概念として独立した)
小麦粉を使ったルーも生まれました。肉類からはジュを取るようになり、それはのちにフォンに発展していきます。
この頃にはムースも生まれましたし、現代のフランス料理に繋がる技術が多く誕生していきます。
中世のタイユヴァンも錬金術的な発想で料理を考えていましたが、17c〜18cの料理人も同様で、料理は錬金術の考えを取り入れながら発展していきました。
調理工程は儀式のような意味合いも強く、効率的ではないようなやり方で、非常に仰々しいものでした。
また、現代のレストランのような商売ではなく、貴族たちの探求心や趣味みたいなものでもあったことから、ソースひとつ作るのにも、今では考えられないほど贅沢な作りをすることが出来ました。
料理の提供自体は、昔と同じように一つのセルヴィスごとに何種類もの料理が並び、それが終わると次のセルヴィスがまた始まる、と言ったスタイルでしたが、並べる数や、セルヴィスごとの料理が対になるなど、洗練度は増し、目で楽しめる仕掛けが随所にほどこされ、フランス式サーヴィスとして、一つの完成された形になっていきます。
17c末にはカフェが誕生し(現在も営業しているカフェ・プロコプが最初)、爆発的な流行を生みます。1720年頃には300軒近くになり、そして18c末には2000軒を超えるまでに増えていきました。
カフェは現代のようなお茶をして寛いだりする場所というよりは、情報交換や議論の場としての役割が強く(例えばプロコプではその日のニュースを貼り出していた。他にも様々な趣向を凝らしたカフェが生まれた)、それが後の革命の原動力となっていきます。
中世のヨーロッパはギルドが力を持っていて、お店の業態ごとに提供できる料理がかなり限定されていました(例えばロティスールは様々な肉のロティは出せるが、煮込みは出せないなど)
中世のヨーロッパとギルドは切っても切れない関係でしたが、1776年にフランスではギルドが廃止され、レストランが誕生する素地が出来上がります。
レストランという言葉はブイヨンの一種で、もともとは元気を回復させるスープのことを指していて、1765年にはお店を示す言葉としても既に使われていましたが、現代の意味でのレストランの誕生は1782年です。
そして、革命で貴族が減り、雇われていた料理人は仕事を失ったことで、そうした料理人がレストランを開きはじめました。
レストランは19c中頃には、1000軒以上もあったようです。
また、レストランの普及に合わせて料理の提供方法も変化していきます。
フランス式サーヴィスは大皿で料理が何皿も並び、自分の席の近くにある好きな料理を食べていました(離れたところの料理は隣の人にとってもらうか、順番を待って給仕に取り分けてもらった)
ロシアでは一皿食べ終わるごとに次の料理が出されていましたが、この影響を受け、ロシア式サーヴィスが、フランスに広まっていきました。
フランス式のサーヴィスでは食卓を豪華に見せるためにたくさんの料理が並べられていたのですが、料理は冷めた状態のものを食べるのが普通でした。
それがロシア式サーヴィスの普及により、出来立ての料理を一品づつ食べることが可能になりました(ただしフランス式サーヴィスは、貴族に代わって富を得たブルジョワの屋敷内で生き残り続けた)
革命以前は、庶民の食と、貴族や王族の食は全く別のベクトルにより発展していましたが、レストランが増えて、一般市民も貴族が食べていたような食事に触れることが出来たことで、フランスの地方料理もまた洗練され、素朴ながらもフランスらしいものになっていきます。
18cから19cにかけては、ブリア・サヴァラン、アントナン・カレーム、ユルバン・デュボワ、ジュール・グフェといった食通や評論家、シェフたちの研鑽によって古典フランス料理は完成度を高めていきます。
そしてオーギュスト・エスコフィエが難しすぎた調理法を単純化、簡略化し、料理体系をまとめ上げました。ここが一つのフランス料理の到達点だと思います(基準点とも言える)
1960年代に入ると、価値観も変化し、健康志向などが多くの人に意識されだし、フランス料理はまた新しい形に変わっていきます。ヌーヴェル・キュイジーヌです。
フェルナン・ポワン、ポール・ボキューズ、ミシェル・ゲラール、ジョエル・ロブションと言った現代の巨匠と呼ばれるシェフたちが台頭し、油脂分に使用を減らし、より素材の風味が生きた繊細で軽やかなフランス料理が誕生しました。
とはいえフレンチは油脂分の使用が多いですが、油脂分や他の素材を足していき軽やかにしていくのが魅力かなと思っています(日本料理とは全く違うアプローチ)
21cに入ってからは、高級店の料理の世界は、よりグローバルになり、使う素材も自国から遠く離れたものを使うことが普通になり、分子調理などの技法によるあまり国が見えてこないスタイルになっています。
ただ、ミシュランの星付き店とかではない普通のビストロや、地方郷土料理の中には、古典的なフランス料理のエスプリが現在も息づいているように感じます(昔と全く同じではないですが。個人的にはフランスの田舎の普通のビストロで食事をするのが好きだったりしますし、食事をしていると合わせたいワインが浮かんできたりします)